自分自身が参加したことのある葬儀、そして通夜について。かたや大勢の関係者がやってくる葬儀、かたや身内のみのもの

故人との思い出 葬儀での通夜の在り方

過去に参加した葬儀と通夜

わたしは過去4回、葬儀に参加したことがある。通夜に参加したことはそのうち2回だ。すべて身内、親戚が故人の葬儀だった。ひとりはわたしよりも年下だったが、彼の葬儀の際は通夜は参加できなかった。通夜に参加したのはひとつは寺でのもの、もうひとつは故人の自宅でのものだ。同じ通夜といわれるものではあるが、内容はまるで違った。寺での通夜は、とかく人が多かった。関係者が多かったこともあるし、故人の家イコール寺の者だったため、一部の有力者などの電報も来るなどの規模だったこともある。みな、しんみりと故人について語っていたり泣いているものも多かった。通夜の席には重たい空気が漂っていて、そのまま夜明けまでなった。わたしが初めて体験した通夜はそんな空気だった。

もうひとつの通夜は違った。そちらは故人の自宅で通夜を行った。もちろん、遺体も寝かされている。葬儀は寺だったかと思うが、実はこちらはあまり記憶にない。こちらの通夜は、とかく、賑やかだった。故人を偲んでいることは同じだが、みな酒を飲み、つまみを食べながら、その場に横たわっている故人も加わっているように賑やかに思い出を語り、笑い声も起こる場だった。先に述べた通夜しか知らないわたしにはその光景ははじめ少し奇妙なものに見え、徐々に「ああ、いいなあ」と思うようになった。

どちらの通夜が正しいか、などという話は不毛だと思う。どちらも故人のことを思っていることは同じだし、悼み方は人それぞれだ。重要なのは形式ではない。それはきっと葬儀についても同様のことはいえるのだろうが、残念ながら型にはまった葬儀以外の体験が幸か不幸かまだないため、それについてはわたしはなんとも言えない。以前聞いた最近の葬儀のマナーにおいて、「通夜か葬儀、どちらかに参加すれば良い」というものがあると聞いたことがある。わたしはそれは「否」だと思う。もちろん、仕事などいろいろな事情で参加できないことはあるだろうが、どちらか一方にだけ参加すれば良いという考え方は違うと思う。葬儀も通夜も故人を思い、悼み、別れを告げる場だ。参加できるのならばどちらも参加したほうが良いと思っている。同じ時間をそれだけ共有できるということなのだから。

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